失ってから気がついた宝物
そーいえば、こないだ母の日でしたね。 俺、実は家の掃除をしただけでそれ以外なんもしていませんでした。 忙しいとか、花でも買おうかなとか思ってたんですけど金銭的にも余裕がなくてとか言い訳して何となく過ぎてしまった....
そしたら、この間Facebookでこんな動画が流れてきた。
5分のプレゼンテーションの動画なんですけど、心を打たれてしまった。自然と感情が高ぶってきてしまってここに書こうと思いました。
だって、このブログは自分の感じたことをリアルにつづるために書いてるし(もちろん自分のために)、その考えが他の人に知ってもらって共感や、同じことを考えてる仲間を探すための手段として使ってるから。
多くの物って、最初は新鮮だったりして大事に使うんだけど、だんだんと「当たり前(慣れ)」っていう生き物が、ありがたさを感じる器官を麻痺させてしまうのかもしれない。
だから、多くの人は失ってからそのありがたさに気がつく。でも、失ってからだったら、もーそのもの自体は形としては無くなってしまう。だからこそ、普段から感謝の心を忘れてはダメなんだね。
いつの間にか、生きてて当たり前。何か、してくれて当たり前。そーなっていってしまってるようで、怖くなってきた。この社会には、いったい自分がどれだけ当たり前って思ってしまっていることがあるのだろう。
この動画のMarkさんは、失ってからだけど気がつくことができた。そして、自分を変えることができた。だから、舞台に立って人前で話すことができる。そして、今なら言える。
「お母さん、ありがとう」
たったその一言。 でも、それが言えていなかった。
今、自分には家族がいる。まず何よりも家族を大切にすることを忘れてはならないなって感じた。そして、失敗を経験した人たちが教えてくれた。