肩書きなんてなーんもないよ

「夢は叶うもの叶わなければまだ努力が足りない」

あいつ、会社員やめるってよ②

①は、読んでいただけたでしょうか? まー、そんなこんなで、今回は自分がなぜ会社員をやめようと思ったのかと今後について書いていこうかと思います

〜 第2章 何で会社員やめるんよ 〜

僕は、わざわざ会社員辞めなくてもいいんじゃね?って自分に言い聞かせてたわけですよ

でもね、、、 まー、自分はアホなんだと思いますよ

世間では、会社員のことを社畜とか何とかまーひどいこと言ってる人達がいるわけですが、ふざけんなと

会社員っていうのは、社会っていうでっかい渦の中から会社に守られてるわけですよ

肩書きをもらえてるわけで

死なない程度の最低保証のお金がもらえる権利があるわけで

社会保険に入れるわけで

福利厚生もあったりするわけで

どんだけ凄いんですか!? それでよく社畜だなんていう言葉が出てくるわ

では、なぜそれを捨てようとしたのか?

単純に、自分がつまらない人間だなと思ってしまったわけです。 そして、どっかでミスしてもある程度は保証されてるっていう甘えが出てきてしまったわけです。

ダメだこりゃと

このまま会社っていう組織にいても、僕はもう落ちていく一方だと思ったので、あえて危ない橋の方に進む決心をしたんです。

不器用なので0か100でしか毎回選択ができません。

そんなこんなで、絶対会社員をもうしない!とかってわけではないですが、今の所は全く考えていません。 自分の力で、何とか道を開拓していきたいと思ってます。 そのためには、みなさんのサポートや、応援が必要です。 恩は、必ず返しますので

長くなっちゃったので、次の回でこれから何をしていきたいのかを書こうと思います。

to be contenue....

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あいつ、会社員やめるってよ①

今回、長くなりそうなのでここでのブログという形で久々に書いてみようと思います。

結論から言うと、会社員をやめようと思いました。

はぁ?

たかが2年半しか社会人やってないのに、何を分かったんやって思いますよね。 ただすいません、そんなの知ったこっちゃありませんw

全員から手放しに応援されるなんて思ってはいないので。

ここから、 何で就職したのかって言うのと 何で会社員をやめようと思ったのかを2回に分けて書こうと思います。

〜 第1章 何で就職したんや? 〜

僕は、ずっと就活中も「なんで会社に入らなければいけないのか?」を考えていました。

この日本だと、生きるために働くのであればバイトでも生きていけるわけで、わざわざ休みも制限されたりとかしなくてもいいわけで、まー社会保険とかに入れるのは間違いないですが 自分なりに、考えて答えを出したのが

「弱い自分と向き合いたい」

これが答えでした。

いつも、自分は楽な方にばかり進んだり、辛かったら辞めたり、なんか自分が決めたはずなのになーって、自分がどんどん嫌いになっていってました

だから、「変わりたい」

その時に、大学が終わって、さぁー自分のしたいことをしようとかってのは、どっかで会社員かっこ悪いとか、自由じゃなくなるからやだとかそんな理由もあったのかなって

やってみなきゃわかんねーーじゃん!

ってことで「会社に入って働いてやる」って決めました。 それに、やってもいないのにあーだこーだゆーのはダサいなって思ったからってのもあります。

そんな時出会ったのが、僕の新卒で入った会社なわけです。 そこの人事の方が、「何で、君は働くんだい?」と学生達に問いてきてその瞬間にここやって決めました。 ここなら、なあなあに生きるのではなく常に物事に対して「なぜ?」を問い続けることができるかなと思ったわけです

これが、僕の働いた理由と、こないだまでの働いていた会社に入った理由です。

to be contenue....

よかったら、いいねとかコメントお願いします。応援だけじゃなく、全然否定的な意見もお待ちしてます。

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俺は、子供なのか大人なのか

すごい久々に、ブログを書いてみようと思う

去年1年は、初めての社会人で時間に追われてしまってました

何で書いててみようと思ったかというと、キングコングの西野さんのブログを見て思ったことがあったから 「はれのひ」被害に遭われた新成人の皆様へ|西野亮廣ブログ Powered by Ameba

なんだろ、これを読んで

自分は、「大人」なのか「子供」側なのか

って事を思ったわけです。

なんで、西野さんがここまでしてあげるのだろうか? 単純に彼は、「大人」としての自覚があったからなんだと思う。

いつからか、歳をとれば勝手に「大人」になると思い込んでた自分がいた

違うんだと思う。

「子供」は、「大人」を見て成長する その「大人」が、こんな事をしてしまったのならケツを持つのは、当然「大人」たちがやらなくちゃいけないんだった

それに無関心なつまらない人にいつのまにか自分なっていってたんだなって気がつかされた

あのニュースをみて、少しでもたとえ力がなくても何かしてあげなければって頭の片隅に思えただろうか

なーにしてんだか俺 まだまだ、伸び代があるんだろうな笑笑

リトルりおが暴れそう

明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします。

久々に、ブログを更新します。 なんでかって、どーしてもどーしても書きたくなってしまったから。 今の感情を言葉として残して起きたかったからです。

最近、自分の中のもう1人の自分が本当に暴れそうで暴れそうで抑えるのに必死になっています。 暴れるとは、もう自分でも手のつかないくらいのエネルギーが身体中に湧いてきちゃうんです笑

自分でも、もはや笑えてきます。 これはまさか、、、

もしかしてだけど〜

もしかしてだけど〜

物事がうまくいってる時の気の緩みに繋がるかもしれないんじゃないの〜と思っております

これから、会うみなさんにお願いしたい。 僕を、潰しにかかってきてください。気の緩みを与えさせないでください。すぐ、調子に乗ってしまうもんで。

ただ、僕はどっかで見た言葉で頭に残ってることがあります。

”根拠のない自信を持て それを裏付ける努力をしろ”

俺これでいいやって思ってしまったんですわ。だから、これからできないことももしかしたら「できます!」って答えると思います。ただ、言ったからには全力でやります。

以上

イイヒトって誰だ?

前からずっと疑問だったこと

良い人ってなに?だれ?

時々、自分にとって良い人って誰なんだろうって考えてた。 良い人ってのは、表面上での物差しとものすごく深い物差しがあるなと思う。

例えば、表面上で後輩にとっての良い先輩になるのって実はかなり簡単だと思う。 だって、飯行った時とかに奢ってあげたり、嫌われないように優しくしてあげれば、その人にとって良い先輩になれるのかなって思うし、経験上そーだった。 友達関係もそう。都合のいい人になった時、いい友達に変身したこともあった。

だけど、もっと深い深い良い人ってそんなんじゃないなって思う。 それの究極論が、親であると思う。

親は、子供にとってイイ親になるために頑張ってるのではないか

それって、当然、嫌われることもあるし、怒ることもある。でも全部、相手のことを思って思って出した答えがそこに行き着いたと思う。

本当に、良い人っていうのは相手のことを思って、今なにをしてあげるのが最善かを導き出してあげられる人じゃないかな?って思う。

時に、痛みを分かち合ってくれたり、時に奢ってあげたり、時に怒ってくれたり。まさしくだww

どーせ、イイヒト目指すならもっと人間的にイイヒトになりたいなと思った。

みなさんのイイヒトは何人いますかね?


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僕の名は、、、

やっと、新海誠監督の「君の名は」を見てまいりました。 見て思ったことは、自分の中のたくさんの感情が動いたなと感じました。まさにエンターテイメント。感動、嫉妬、ハラハラドキドキなどひとつの映画でここまで揺さぶられたのが初めてなのではないでしょうか

よく自分ってどーなりたいだろうかって考えるのですが、とーぜんカッコよくなりたいとか、人として素晴らしい人になりたいとか思ってます。

ただ、それ以前に僕は表現者でいたいと思いました。これは、いわゆるアーティストと呼ばれる人たちであるかもしれませんが、決して役者とか俳優だけを指す言葉だけではないと思います。

なんでかというと、私たちって名前はたしかにありますがそれは”タダの名前”でしかありません。この世に、1人の人間として生まれてそこに名前がつけられただけの事でしかないのです。 なら、自分ってどーやって生きていけばいいのだろうと思った時、自分らしく生きていこうと思ったのです。でも実際は、自分ってどーゆー人なのかなかなか自分で理解するのは難しいし、思ったように行動しても相手には違ったように受け取られることもあります。

僕は、いつからだろうか。自分のすべてをさらけ出すのを恐れてきました。なぜなら、すべてを出した時に否定されるのが怖かったから。自分の存在価値を否定されるのではないかと思ってしまうんです。

でもね、変わってきた自分がいる。 いったい、俺は誰の人生を歩んでるんだろう?って思った。自分を出せなくて、どーやって自分らしくいるんだろうって。泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑えたらどんなにいいだろうか。

表現者になるって、自分で自分を理解していくことなのかな。だから、自分の感情とか心の声とかに耳を傾けないと潰されちゃうんだよね。

高校3年生の頃、すげーしょーもないんだけど、お年寄りの人に席を譲ろうと思ったんだけど、おじいちゃんが前に立ってからだいぶ経ってから譲るのもなーとかタイミングをなくしちゃったとかそーゆー言い訳で譲れない自分が嫌いで嫌いで葛藤してた自分がいた。あの頃の自分が、本当に嫌いだった。

今も、すべてを出し切れていないかもしれない。でも、常に戦ってる自分がいてくれるから今、ここに「野田悠太」として存在してることを理解できてるし、自分が好きだ

だから、新海誠さんの作品をみてただただ嫉妬とリスペクトをした。もちろんいろんな映画を見ても思うのですが、なぜか心を奪われたのが彼の作品だった。アニメを舐めていた自分と、こんな切り口から作品を作るのかよって思った。 彼からしたら、もしかしたら自分をまだ表現しきれていないのかもしれない。でも、すげー新海さんって人がどんな人なのかっていうのを映画を通して理解できるなって感じました。

一生の中で一回でもいいから、自分を表現した目に見える作品というか何かを作ってみたいなって思う。そしたら、自分の生きた爪痕をこの世界に残せるし、自分の存在価値を自分で実感できるなーって思った。

この世界が、表現者で溢れたらきっともっと面白い世界になるんだろうな


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命をもって、命を学ぶ

ふと、思った「命」について。

の尊さを学ぶのって、かなり難しいと思う。本当に体で分かるなら、大切な人、ペットとかがなくなった時に分かるんじゃないかな?

僕の人生で、最もについて考えさせられた出来事は小学生の時。 僕には、ハワイに叔父さんと叔母さんがいます。そして、従姉妹もいます。

小学4年生の頃、夏休みにハワイに1人で預けられてた期間があってその時にとてもお世話になっていました。1人でハワイに行って、預けられていたのでとても不安ばかりだったけど、そんなことを吹き飛ばすかのように毎日色んなところに連れて行ってくれたし、現地の学校が楽しかった。 まるで、本当の子供のように可愛がってくれたのを覚えてる。10年前くらいの話なんだけどね。

それから、小学6年生の夏、受験勉強で忙しかった時にいきなり母親から知らされた。

「デビちゃん(おじさんの呼び名)が、ガンでなくなった」って

その時の悲しみは、今でもとても覚えてる。 初めて、すごく身近な人の死を目の当たりにして、こんなにも人の命って容易く無くなるんだってことを。そして、とても悔しかったのを覚えている。

まだ、全然若かったし、ちょーどおじさん達の間に双子の子供(従兄弟)が生まれたばかりだった。また、この受験が終わったら会いに行こうと思っていたのにその願いは叶わなくなってしまった。

母親と弟だけ、お葬式にハワイには行きましたが、僕は受験期間の大事な時期だったので行くことができなかった。

それから、いつか行こういつか行こうってずっと思ってたのに、いつしか時期を逃して今にいたってしまった

時々、机に置いてある写真を見て何だか昔を思い出す。 社会人になる前に、ハワイに行こうと思う。お墓に手を合わせに行ってこんなにも大きくなったってことを報告しに行かないとなって思った今日この頃。

でも、デビちゃんが地上に残していった素敵なプレゼントがあるんだよね

それは、双子の子供たち。

きっと、見てないだろけど

Thanks for your having been born in this world, Amy,Natary😁


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